アメリカMBA留学のきっかけから今に至るまでの寄り道の記録を簡単に記します。
アメリカMBA留学のきっかけ
2009年5月20日。僕はまたアメリカに戻ってくることを誓って、シアトル タコマ空港から成田行きユナイテッド航空機に乗り込んだ。その時は実際に戻ってこれること。こんなに時間がかかることなんて予想していなかった。
たぶんこれが僕がアメリカMBAを意識した最初の瞬間だと思う。
僕は2008年8月〜2009年5月にアメリカの田舎街の州立大学で交換留学生として勉強していた。その9ヶ月間は今でも人生で一番充実していた期間だと断言できる。
英語は得意ではなかったが毎日新しいことに挑戦し、刺激的な友に恵まれあっという間に過ぎてしまった9ヶ月だった。
就職氷河期の就職活動
帰国後の就職活動はとても苦労した。リーマンショク真っ只中。多くの企業が新卒採用を抑制していた。まさに就職氷河期である。しかもほとんどの企業が採用活動を終えている5月に帰国し、就職活動を本格的に開始した。
少ないチャンスをものにするため、名古屋の大学で授業を受けながらも、毎週のようにバスで東京に通った。幸運にも東京のとある商社がこんな私にチャンスをくれた。
充実の東京生活 USCPAとアメリカMBAへの準備
2010年4月から始まった初めての東京生活。満員電車は苦手だったけどたくさんの刺激を受け、とても楽しい生活を送れた。
仕事は海外営業だったので引き続き英語を使えた。担当がシンガポール顧客だったのでこれが後のシンガポール就職につながった。ある程度裁量権があり時間に余裕があったので、平日も終業後に時間があった。
そこで夢のアメリカMBAのために何か準備できないかと思いUSCPAの勉強を始めた。
夢のための努力はまったく苦痛をともわない。あれだけ朝が苦手だったのに始業前にスタバの開店と同時に勉強を始め、終業後はスタバの閉店まで勉強した。今思い返しても充実してとても楽しかった。
そして2012年11月に全教科合格した。
アメリカMBA前にもう一つ強力なキャリアを積みたいと思い転職活動を始め、地元愛知県にある大企業へ転職することになった。
2013年5月、25歳の僕は3年過ごした東京を離れた。
激務の2年間 アメリカMBAが遠ざかった
新たな仕事は前職と違い裁量がほとんどなく、仕事量が信じられないほど多かった。毎日たくさん残業した。ストレスも尋常な量ではなく週末は体を休めることを優先せざるを得なかった。
こんな状態では夢に向かうなんて考える余裕がなかった。この期間にアメリカMBAが遠ざかってしまった。頭の片隅から消えさってしまった。
ただ、海外営業のポジションなので引き続き英語が使えたこと、大企業での働き方がわかったことは自分にとってプラスだったと思う。
給料はとても高く将来の安定も確保できていたが、一生この会社で働くことが想像できず、何かを変えなければならないと強く思うようになった。
ふとシンガポールで働くことを思いつく。
シンガポール就職へ
とある金曜に有給を取ってシンガポールに飛んだ。
現地のエージェントや企業と話し、シンガポール就職の手応えを確認するためだ。学生時代3週間シンガポールで過ごしたこと、最初の会社で何回も出張に来ていたので、土地勘があり効率的に回れた。そしてシンガポール就職が実現可能なことを確認できた。
20代後半の僕にとって今しか海外就職のチャンスがないと思い、思い切って2015年1月退社した。26歳だった。
その後、南米を1ヶ月間旅して就職活動を開始した。慌てる必要はなかったので、ゆっくり職探しをした。
シンガポールへは2回渡航した。迷いもまだあったため在日本企業にも応募した。最終的に3社からオファーをいただいた。その中には4大監査法人からのオファーも含まれたいた。
しかしながら、ワクワクする仕事という基準でシンガポールの日系企業を選択することとなった。余談だがその会社の提示給料は一番低かった。
2015年8月31日、27歳の僕はシンガポールへ飛び立った。
シンガポールでの生活。 アメリカMBAへの夢の復活
シンガポールでの生活はとても楽しかった。同世代の人とのルームシェアし、仕事後にはインドネシア語を習った。月2回は周辺諸国へ旅行に出かけた。
仕事は慣れないことが多かったけど、周りの人に恵まれなんとかやっていけた。人生振り返っても僕は本当に人に恵まれている。人生詰んだと思っても助けてくれる人が現れる。感謝の気持ちを忘れてはいけない。
なんだかんだ居心地がよかったので2年半が過ぎてしまった。現地採用なのと上のポジションが詰まっていることもあって、キャリア的にこの会社で向上は見込めなかった。
ふとアメリカMBAの夢が舞い戻ってきた。
少しずつTOEFLとGMATの勉強を始めた。その時29歳になっていた。年齢的な制約から1年制のプログラムを探した。また金銭的な制約からトップ校を諦め、授業料の安い中堅校に照準を定めた。
2019年2月、2校から合格通知が来た。ようやく10年前に抱いた夢への切符を手にすることができた。その時31歳になっていた。
10年越しの夢の実現
2019年6月8日、羽田空港からアメリカシカゴ行きのANA便に乗り込んだ。10年前に誓ったことをようやく果たせた。今はアメリカ中東部の中堅州立大学の1年制MBA学生として勉強している。たくさん寄り道して予定より遅くなったが、夢は続いている。
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